2012年11月24日土曜日

一アマ免許

一級アマチュア無線技士免許の再交付を受けるに当たって、現在のアマチュア無線技士の資格とか試験制度などをちょっと調べてみました。
なにしろ、30年余りこの世界から遠ざかっていたのですから。いわば浦島太郎のようなもんです。

まず一級から始まって。二級、3k級、四級と四つもあるのですね、
私が知っているのは、一級、二級、電信級、電話級でしたから、びっくり。
さらに驚いたのは、一級、二級とも、電信(モールス)実技試験がなくなってしまっていることでした。
法規の中に、Q符号の理解と ・- の記号の理解を問う問題が2,3あるだけ!。

これにはびっくり仰天。
確かにプロの世界では今、船舶や陸上無線局では、モールスで通信するなんてことは全くしないでしょうが、モールスの実技試験としては残っています。
いくら通信技術が発達したとしても、重大な事故が起こってコンピュータや高度な通信機が使えなくなったときに、最後の頼りになるのは、モールス通信だからです。
これだと、その気になれば1日もあれば送信機や受信機が作れ、最低限の通信が出来ます。
だから、実際に使われていなくともモールス通信が出来る必要性はあるわけです。

一方、アマチュアの場合、プロと違って現在でもモールスの通信が行われているようです。
いまでも、手作りの送信機や受信機を作って通信したり、100mWぐらいの超低電力で通信を試みたりしている無線家がいます。
そういう楽しみ方が出来るのがアマチュア無線の良いところでもあります。

高価な通信機とアンテナを張り、ハイパワーで世界中の仲間と安定して通信をするというのも一つの楽しみ方ですが、前述のような楽しみ方だってあるわけです。どちらを選ぶか、否、両方を目指す楽しみ方もあるのが、アマチュア無線家ならではないでしょうか。

またまた話が脱線してしまいましたが、モールス通信が全く出来なくとも、一アマ免許が取れる時代なったんですね。これは喜ぶべきなんでしょうか。記号で ・- は A だと頭で理解していて実際に通信が出来るとは全く思いませんが・・・。

私が取得したとき、一分間に平文で英文60文字、和文50文字の送信及び受信がありました。使い慣れた縦振り電鍵を持ち込んで送信実技試験でした。たしか3分間だったように思います。
受信は受験者全員同時にスピーカーから流れるモールスを聞いて用紙に記録するのです。

送信は、電鍵を紙テープにモールスの符号を打ち出す機械に繋ぎ、渡された送信文をみて、キーをたたくのです。機械が4,5台あって、受験番号順に送信試験をしたようにおもいます。
受信も送信もとても緊張しましたね~。

40年以上昔の話です。いま、思い出すと、なつかしいですね~。
こんなことを言うのは、やはり年のせいでしょうか・・・・・。

2012年11月21日水曜日

アマチュア無線技士免許の再申請

 いくら探しても免許証が出てこないので、免許証の再免許申請をすることにしました。
ネットでいろいろ調べると、
最免許申請の様式や方法を総務省のサイトで公開しているとのことがわかりました。
URL ::http://www.tele.soumu.go.jp/j/download/proc/index.htm

早速アクセスし、最免許申請の方法と、書類をダウンロードしました。
pdfファイルで、書き方の例も詳しく書かれており、簡単にできそうです。

必要事項を記入して、郵便局へ、
切手を貼った返信用封筒、写真、2200円分の収入印紙を貼った、再免許申請書を入れて
近畿総合王通信局宛に発送しました。
昔は「近畿電波管理局」だったんです。

四国で住んでいるのに近畿とは、試験を受けたのが近畿だったので、近畿での発行になっているのです。
ネットでは、1ケ月ぐらいかかると書いてあるのですが、実際はそれよりも早いそうです。
早く来ないかな~。

カムバック アマチュア無線

 思いつくことがあって、長い間休んでしたアマチュア無線を再開しょうと準備を始めました。
30年近く休んでいたので無線局「JA5IT」は失効していますので、改めて局の免許申請しようとしたのですが・・・・・。
無線従事者免許をいくら探しても見つかりません。
そのうちに二級アマチュア無線技士の免許が出てきました。

 とっても古い免許で昭和39年2月19日発行となっています。添付の写真を見ると、23才の紅顔の美少年いや青年の顔が写っており、懐かしさで涙が出てきました。

一番始めに取得したのは、たしか16才の高校2年生の時で、2級アマチュア無線技士(二アマ)でしたのが、電信の資格や14M以上の周波数は使えなく、空中戦電力は10Wまででしたが、7Mで全国の仲間とたのしく交信が出来ていました。

その数年後に新しい二アマの試験を受け、電信が出来るようになり、14Mを除く全てのバンドが使えるようになったのです。

それから、数年が過ぎ一アマを受験しました。みごと合格、500Wのハイパワーでの運用が始まったのです。さらに数年が経ちました。
 このころに発売されたNECのマイコンキットTK-80を購入し、マイクロコンピュータの世界に首を突っ込んでいったのです。

当然、このあたりを堺にアマチュア無線の活動はぱったと止まり、パソコンにのめり込んでいきました。もう30年近くなります。

70も過ぎ、パソコン・インターネットにあきが来たのではないのですが、キーボードやマウスを黙々と打つことや、携帯電話でのおしゃべりに疑問を感じ始めました。

昔やっていたアマチュア無線でのラグチューや混信の中で耳をとぎすまして聞き取ったDX局との交信、徹夜状態でのコンテスト参加など、インターネットとは違う興奮と生の無線仲間とのおつき合いが懐かしく思い出し、今、再開に駆り立てられています。

 話がすごく脱線しましたが、一アマの従事者免許が見つからないので、まず、これの再交付をしなければなりません。
再交付申請の方法を調査することにします。